津軽三味線は青森県の津軽地方に伝わる、三味線の種類では太棹と呼ばれる一番大きな三味線を使って演奏される音楽です。もともと三味線は、中国の福建地方で用いられていた三弦(さんしぇん)という楽器が、14C末頃に移民の手により琉球(沖縄)に伝来したといわれております。琉球では多少改良がなされ、三線(さんしん)として何処の家庭にも必ずあるといわれるほどに普及しました。16C末頃になり琉球と貿易があった堺(大阪)に伝来し、ここでも改良が加えられ現在の三味線の原形となったようです。その後は人形浄瑠璃や歌舞伎などの伴奏楽器としてとり入れられ、江戸時代には、長唄、端唄、小唄、民謡など様々な三味線音楽が確立されていきます。私たちが演奏する「津軽三味線」はさらに改良された物で、歴史はまだ浅く100年あまりしかありません。新潟の瞽女と呼ばれる目の不自由な女性旅芸人によって津軽地方に三味線が持ち込まれ、津軽で三味線を手にしたのは、やはり盲目の※門付け芸人「ぼさま」といわれる人達でした。「ぼさま」によって生活する為に演奏されていた独奏や弾き語りのスタイルが、やがて津軽民謡の伴奏楽器として使われるようになります。津軽地方の民謡(とくに※五大民謡)はジャズの演奏スタイルによく似ていて、唄も伴奏も即興的にその時の気分で違ってきます。とくに前奏部分は三味線奏者には腕の見せ所となる為、独自の技や奏法で観衆を魅了するようになり、やがて津軽三味線は唄から離れ、曲弾きという独自の演奏スタイルを確立して行きます。みなさんがよく耳にする「津軽じょんから節」はこの曲弾き、つまり前奏の部分だと思います。即興演奏ですから奏者の気分次第では前奏が唄より長い場合も・・・。
現在では、ほとんどの曲は流派によって楽譜にまとめられ、独奏から大合奏まで演奏が可能となり、民謡以外にも創作の曲や他の楽器とのセッションなど盛んに行われております。
※ 門付(かどづけ)芸人 ‥‥ 家々の前に立ち、三味線や尺八、歌をうたったりして生活をしていた人。この中に仁太坊と言う人がいて津軽三味線奏法の基礎を創ったと言われています。
※ 五 大 民 謡 ‥‥ 津軽じょんから節、津軽よされ節、津軽小原節、津軽あいや節、津軽三下り
もっと詳しく⇒三味線の種類と津軽三味線以外の三味線音楽
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